【特別企画】名馬の蹄跡 ライフ・イズ・ビューティフル号(那須トレーニングファーム)前編

国内障害馬術競技会

3年間のスランプと試行錯誤

2012年の全日本以降、ライフ・イズ・ビューティフル号は長いスランプに陥ってしまう。2013年から2015年までの丸3年、公認競技会での勝ち星はゼロ。その間、毎年出場していた全日本障害馬術大会 PartⅠでも、2013年が中障害A決勝26位、2014年が中障害A決勝27位、2015年が中障害A決勝7位と結果はふるわず、周囲の期待を大きく裏切る状況が続いた。

「2012年の全日本では好成績を残すことができましたが、決して本当の実力ではなかったのだと思います。馬も人もまだまだ経験不足で、大きな壁にぶつかってしまったような状態でしたね。どうすればブチ君と信頼関係を築くことができるのか、思乃もかなり思い悩んでいた様子でした」(龍馬)

「長いスランプ期間が何度もあったように思います。色々工夫して乗ってはいるものの、途中で止まってしまったり、馬から落ちてしまったり。国体予選でも失敗して、全然うまくいかなくて…。私が乗っているせいで、ブチ君が調子を崩してしまったんじゃないかと悩んだこともありました」(思乃)

この3年にもおよぶ長い長いスランプの間、2人はライフ・イズ・ビューティフル号とどう向き合っていたのか。安くない費用をかけてヨーロッパから連れて来た馬がなかなか結果を出せない状況について、焦りや苛立ちを感じることはなかったのか。

「普通なら焦っても仕方ない状況だったと思います。でも、僕はとにかく慌てませんでした。馬も人も生き物ですから、良いときもあれば悪いときもあります。だから、結果が出なければ一度クラスを下げて、まずは満点走行を目指す。勝てなかったとしても、満点走行ができれば、馬も心の中でガッツポーズをするんです。そして、自信がついて、また次も頑張ろうという気持ちになる。その前向きな気持ちを一つひとつ積み上げていくことを大切にしていました」(龍馬)

「私がブチ君の足を引っ張っていると感じていたので、初心に戻って、自分の飛び方を基本から見直しました。『飛び方が正しくないのかもしれない』と考えて、低い障害で正しく飛ぶ練習を何度も繰り返したり、ブチ君以外の色々な馬で練習して、どんな馬でも同じレベルで飛べるようになることを目指しました。また、身体のどこかに不調があると飛ばなくなってしまうので、装蹄師さんに相談したり、何人もの獣医さんに身体を診てもらうなどして、体調のケアにも力を入れました」(思乃)

こうした努力と試行錯誤を続けた結果、2人とライフ・イズ・ビューティフル号の絆は深まり、少しずつではあるが確実に、パフォーマンスは向上していった。そして、2016年3月、ライフ・イズ・ビューティフル号はようやくトンネルを抜け出し、その実力を発揮し始めた。

<中編に続く>